部屋の中から

会社を辞めてぷらぷらしている男が趣味について何か書いていくブログ

自作が嘲り笑われたとき、作家はどのように傷つくのか [妹さえいればいい。7]

[以下、ネタバレ満載]

 

 

6巻で進展した伊月と那由多の関係は、本巻ではあっさりと更に先へと進む。

恋愛における一大イベントが、ほとんど溜めもなくノーモーションで放たれる様を読むにつけ、今後急激な暗転が待ちかまえてるに違いないと邪推してしまう。

この二人は別れてしまうのだろうか。

 

しかしそれはそれとして、本巻のメインイベントは「関ヶ原幽がいかに亡くなったのか」だろう。

小説を面白くするための努力を嘲笑われることに悩んで、それでも最期まで読者を信じて、関ヶ原幽の生涯は閉じた。

妹さえいればいい。」の巻末には「この作品はフィクションであり実在の人物、団体、および作者の主義主張や性癖は一切関係ありますん。」と書かれている。「ありますん」をどう捉えればいいのか分からないが、僕は作者・平坂読関ヶ原幽をある程度同一視してしまった。

 

前作のはがないは、connect がひとつの転機だった。connectは登場人物の背景を深く掘り下げた。connect以降はだいぶ作風がシリアス寄りになり、その変化を嫌った読者がアンチ化する様子もネット上でちらほら見かけた。また、あまりラノベも一般小説も読んでいないと思われるネット民がフォント芸やらバスの座席表やらを馬鹿にもしていた。

 

作者は自身への罵声に真正面から向かい合い、幽のように傷ついていったのだろうか。

そして幽のように読者を信じ、はがない最終刊を送り出したのだろうか。

幽と違い、作者は最終刊の刊行後ももちろん存命であり、反響も受け取ったはずだ。

それに対してどのように感じたのだろうか。

 

おそらく伊月はアニメ放映後に、幽と同じような試練を受ける。そこで僕が抱いた疑問に対して、何らかの回答が示されることになるのだろう。

 

なおタイトルに反して、7巻でも妹の存在感は相変わらず薄いままだ。しかし千尋は不発弾だ。いつかとんでもない爆発をするときが待ち遠しい。