部屋の中から

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【殺意を持っていない人がいない】凶悪

山田孝之ピエール瀧リリー・フランキーが出演する映画「凶悪」を、Amazonプライムビデオで見た。

 

あらすじ

「死刑囚・須藤が、週刊誌の記者・藤井に自らの余罪を話す。

藤井が事件の詳細を調べ、須藤を利用して殺人を重ねていた木村を告発する」

というのが大まかな話しの流れだ。

 

殺人に対する倫理観がぶっ飛んでいる二人

ヤクザの 須藤は、誰かに対して殺意を持ったら、本当に殺してしまう奴である。

普通の人だったら「人を殺してはいけない」と歯止めがかかるが、須藤にそんなストッパーはない。

不動産ブローカーの木村は、須藤に殺人や死体の後片付けを依頼するが、彼も傍観するのではなく嬉々として殺しに加わる。

この二人は分かりやすく「凶悪」だ。

だが、この映画に出てくる人物はそれぞれみんな凶悪な部分を持ち合わせている。

 

倫理観がぶっ飛んでいなくても、誰かに死んで欲しい他の人々

例えば、5000万もの借金を作った爺さんを殺すよう木村に依頼する家族がいる。爺さんは家に帰りたいと木村たちに懇願するが、家族は爺さんの帰宅を全く望んでいなかった。死んでもらわないと生き地獄が続くからだ。

生活苦のため爺さんに保険金をかけて殺して、借金を返すしかなかった。

 

また、藤井も正義の味方などではなかった。認知症の母の世話を妻に押しつけて、事件の真実を解き明かすのに没頭した。

妻からは、「母親をホームに預ける罪悪感から逃げているだけ」と糾弾される始末。

そして妻は、姑の介護に疲れ果て、姑の死を願った。

 

罪悪感の有無

罪悪感はこの映画のキーワードの一つだ。

罪悪感など感じない須藤や木村は、簡単に人を殺す。

爺さんの家族は罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、生きるために人殺しを依頼する。

藤井は罪悪感から逃げて、その結果、妻が母の死を願うまでに追い詰められる。

罪悪感を持っていようが、なかろうが、等しくみんな誰かの死を必要としてしまう。

全く持って救いがない。

 

二人の死刑を望む藤井に、罪はあるのか?

藤井は調査が進むにつれ、須藤と木村の死刑、つまり国家による殺人を心底願うようになる。

藤井は収監された木村と面会する。面会場から木村が去ったあと、カメラが藤井の顔を正面から捉えて映画は終わる。

それはまるで藤井こそが牢獄に囚われているかのようだ。

 

はたして須藤も木村も藤井も、皆同じ穴のムジナなのだろうか。

私はそうは思わない。

 

しかしそう思うのは、私が死刑に反対していないからかもしれない。

とりとめもなく、この項を終える。