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部屋の中から

会社を辞めてぷらぷらしている男が趣味について何か書いていくブログ

【ミュシャ展】 物語性のある巨大絵画の迫力

ミュシャ展に行ってきた。

ミュシャというと、「縦長の枠に綺麗な女の人を描く人」ということくらいしか知らなかった。こんな感じの。

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61Q4tJuhoEL.jpg

 

しかし今回は、「スラブ叙事詩」がメインだという。

「スラブ叙事詩?何それ?」状態で見に行ったのだが、これが思いの外、良い展覧会であった。

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/Slovane_v_pravlasti_81x61m.jpg/1024px-Slovane_v_pravlasti_81x61m.jpg

[スラヴ叙事詩 - Wikipediaから引用]

 

巨大な絵画「スラブ叙事詩」新体験

最大で高さ6mx幅8mにもなる絵の中で、スラブ民族の人々が死んだり、戦ったり、勉強したり、仕事したり、権力闘争をしたり、そして栄光を掴んだりしている。

例えば、上のスクショは「原故郷のスラブ民族」という絵である。会場では一番始めに展示されているのだが、まず左下の庶民たちが怯えているのが目に入る。その上には雄叫びを上げる軍団がいる。右上では、神様みたいな人たちが宙に浮かんでいる。

「どういう状況なんだ」と各人物の物語に思いを馳せながら、首を回して絵を眺める。

「首を回して」と書いたとおり、めちゃくちゃでかい絵なので、絵の全景が一目では見られないのだ。

ぱっと見で絵を理解できた気分になれず、じっくりと絵の中の一つ一つの要素を確認せざるをえなくなる。

絵を一通り眺めた後に、絵の脇に置いてある説明文を読んで、もう一度絵に向かい合う。

こういう絵の見方はしたことがなかったので、新鮮だった。

「見る」というより「体験する」という感覚だ。

 

(なお「原故郷のスラブ民族」の説明文によると、古代、スラブ民族は他の諸民族の標的とされていた。左下には略奪者から逃げた人たちが描かれている。右上に描かれているのは、戦争の終結を願う祭司と平和を象徴する娘、戦士だそうである)

 

一部の絵は写真撮影も許可されていた。

f:id:outrec:20170422031020j:plain

 

図録もある 

あまりに良かったので、図録も買ってきた。

が、やっぱり実物の迫力には遠く及ばない。

f:id:outrec:20170422032613p:plain

結構重い。ちなみにAmazonでも売っていた。 

 

 

国立新美術館で開催中

スラブ叙事詩はアニメとか漫画とか見ていちいち深読みする人には、ぴったりはまるのではないかと思われる。

ミュシャ展は国立新美術館で6/5まで開催されている。

六本木に行ける人は、是非足を運ぶとよいと思う。

www.mucha2017.jp

 

腰が痛い

ひとつ難点をあげると、絵を見上げながら立ち続けるので、最後の方は腰が痛くなった。

会場内には椅子もあったので休憩しながら見たけれども、椅子の数はそれほど多くはないので休日は大変かもしれない。

 

"正解するカド" は未知に対抗する人類を描く傑作になりそうな予感

正解するカド

 

羽田空港に現れた謎の立方体!

 

立方体に飲み込まれた旅客機!

 

日本政府はありとあらゆる手段で立方体の中の旅客機を助けようとするが、立方体は人類の技術では全く壊せそうにない。

理論物理学者の品輪がわりとぶっ飛んでて、最終的に戦車まで持ち出すが、何も効果無し。

 

でも、旅客機には凄腕の交渉官・真道が乗っているぞ!

多分真道が何とかするんじゃないの、と思いつつ、「誰と交渉するんだ?」という疑問も出てくる。

 

真道を心配する夏目(30)(CV伊藤静)がかわいい。

 

最後に渚君みたいな異星人ヤハクィザシュニナが真道と共に出てきて、1話終了。

 

すごくわくわくしましたね。

二つの要素で興奮させられますね。

 

1. 謎の立方体は一体何なのか?

「1話にして色々な調査をして、何も効果がない」ということが逆に「じゃあ、これからどうするの?」という好奇心をかき立てられます。

シンゴジのように政府が一丸となって、未知に立ち向かうのが興奮する。

 

2. 真道に対する期待感

真道がめちゃくちゃ有能であると作中で強調されている。

立方体の中に真道がいるんだから、彼が何とかしてくれるのではないかという期待感がふくらみ、そして最後に謎の存在ヤハクィザシュニナと共に立方体から出てくる。

 

「なんなんだ、この立方体は」「誰なんだ、ヤハクィザシュニナ」

ヤハクィザシュニナは何が目的で地球に来たのか、そして彼に対して真道はどう交渉していくのか興味は尽きない。

 

 

2話では、ヤハクィザシュニナと真道の最初の接触のシーンが描かれたが、相変わらずヤハクィザシュニナの目的はいまいちはっきりしない。

 

最後にもう一度言うが、真道を心配する夏目(30)(CV伊藤静)がかわいい。出番は少なそう。残念。

 

 Amazonビデオでは、機中で真道と花森が話していた用地買収のエピソードを描く第0話が観られるので、みんな観るといいよ。

www.amazon.co.jp

 

 

【映画大好きポンポさん】136ページできっちり盛り上げ、きっちり締める一級エンターテインメント

WEB漫画で、どえらい満足感を得てしまった。

 

www.pixiv.net

 

"ポンポさん" はテンポが良い

映画の天才プロデューサー・ポンポさんが、才能ある新人監督・ジーンと新人女優・ナタリーを見出し、彼らがその期待に応えるお話。

何が良いってテンポがよい。(ポンポさんだけに)

無駄なコマがない。

場面がくるくると変わり、展開が速い。なのに、説明不足ではない。

ポンポさんやジーン、ナタリーが映画に対する思いを口にし、情熱を燃やす。

その熱さが読者にまで伝わってくるのだ。

 

"ポンポさん" は登場人物を応援したくなる

トーリー的に目新しいものはない。

作中でジーンは映画 "マイスター" の脚本を読んで、「物語としては定番で新味はない・・・けど登場人物の魅力に引き込まれる!」と評価した。

それは、そのまま "映画大好きポンポさん" にも当てはまる。

孤独で映画ばかり観ていたジーンが、田舎から単身都会に出てきてバイトで疲れ果てても笑顔を失わないナタリーが、成功してほしいなあ、と思わせる作品になっている。

 

"ポンポさん" は演出が良い

キャラクターの魅力だけではなく、演出もすばらしい。

"ポンポさん" は基本モノクロだけれど、1ページだけカラーページになっている。

そのページの鮮烈さと言ったらない。

ラストの締め方も爽やか。

136ページで、これだけの勢いを生み、なおかつきっちりまとめる漫画はそうそうない。

面白かったです。

 

 

 

蛇足

以下、ちょっとした気になる点。

ただ一つ、ほんの小さな不満があるとするならば、美人女優ミスティアの扱いだ。

彼女は、ジーンとナタリーを元気づけるためにしか機能していないように思える。

ミスティアは自分の夢をナタリーに語るのだが、その後、その夢については特に触れられずに終わる。

物語の前半でちりばめられた他の設定や台詞が、後半になって見事に活かされているのに、この点だけは放置されているので気になった。

そういや、前作(でいいのか?)の "猫村博士の宇宙旅行" でも、美人火星人オーロラの存在感は薄かったな。

これはミスティア主役の後日談が描かれる伏線ですか?

なんにせよ次回作にも期待したい。

 

www.pixiv.net

 

【鉄血のオルフェンズ最終回】納得いかない点を羅列する

鉄血のオルフェンズが第50話にて最終回を迎えた。

48話までは楽しんでいたが、同時に「あと2話しかないなら、良い最終回にはならないだろうな」という予感もしていた。

残念ながら、その予想は当たった。

以下、いまいちな点を書き殴る。

 

ラスタルが勝ち残って、結果的に火星は良くなりました」という締め

火星をどう統治すべきか、ということに関するラスタルの持論はあったっけ・・・?

なかったと思う。そのせいで、ラスタルが勝って火星の待遇が良くなった、というのがご都合主義的展開に見える。

 

 

さらに、「マクギリスのやり口は間違っていて、ラスタルが勝って、火星は変わったよ」って、じゃあ鉄華団の戦いに意味があったのか(無い)という話になってしまう。

普通主人公が敗北して物事が良くなる場合は、「鉄華団の戦いぶりに敬意を払って」とか何とかそういう理由付けがされるものだけど、そんな描写もなかった。

 

49話までの話の進め方で、かつ鉄華団を敗北させるなら、「鉄華団は壊滅した。火星は何も変わらなかった」という地獄のような終わり方こそ筋が通っている。

どうせ無意味なら、このくらいやってほしかった。

 

 

「私たちの誰もが 光を目指して歩いている」というセリフ

ライドによるノブリス・ゴルドン暗殺の後にこんなこと言われても。

どう考えても、ライドはオルガの死に囚われて後ろ向きに生きているのだが・・・。

 

 

鉄華団主体の作戦がなかった

結局のところ、鉄華団は、というかオルガのやりたかったことは「誰かのボディーガードになって、金を稼ぐ。そして自分たちの居場所を確保する」ということになる。

そのため、話の軸がその「誰か」になってしまう点がオルフェンズの弱点だった。

鉄華団は、クーデリアやマカナイやマクギリスの希望を叶えるための戦力になった。

それはいいんだけど、最終的にはやっぱり主人公の希望に基づいた行動を見たかった。

鉄華団の、鉄華団による、鉄華団のための作戦がほしかった。

最後の脱出作戦がそれだというなら、ちょっと寂しい。

 

 

三日月の欲望を見たかった。オルガについていくこと以外の。

更に言うと、三日月の自立を見たかった。

先に書いたように、僕は主人公がどう考えて、どう動くかに興味があるので、三日月についてはオルガの武器のような存在で終わってほしくなかった。

グレンラガンではシモンがカミナを乗り越えていったけれど、三日月はオルガを越えることはなかった。

 

三日月は「鉄華団として戦うこと。それこそが、居場所。俺たちはもう居場所に辿りついていた」と青い鳥みたいなことを言い出して満足して死んだようだが、手段が目的化しているではないか。

 

こんなこと言うのはアレですが、オルガはもっと早く死ぬべきだったのでは。

そうしたらまた別の展開もあっただろうになあ。

 

 

イオク

あれだけヘイトを集めておいて、死に方が適当すぎる。

 

 

最後に。

色々書いたけれど、途中までは、最終回を除けば、大変楽しめた作品であった。だからこそ、最後が惜しい。もったいない。

【ET】思い出補正もないまま観ても大して面白くないんじゃないか、という懸念は杞憂

傑作らしいが、今でも通用するのかい?

3/31にてAmazonプライムビデオでの配信が終了してしまう映画を駆け込みで観た。

その一つが、ET。1982年公開の映画。僕は今まで1回も観たことがない。

観る前は「何十年も前の映画だし、傑作と言われてても今観たら大したことないんだろうなあ」などと思っていたし、始まって1時間くらいはその考えが間違っているとは思えなかった。

映画では、一人地球に残されたETを探している大人たちと、ETを保護するエリオット少年が交互に描かれる。

エリオットや彼の兄妹はETに言葉を教え、交流が成り立っていく。

一方、探索隊の大人たちは一言も言葉を発しない。ただ、着実にETに近づいていく。それが恐い。

しかし効果的ではあるけれど、今となってはよくある演出だ。

ETとエリオットがだんだん仲良くなっていくのも目新しさはなく、探索隊が一言も発しないのは、ただ不気味さを表現したいだけなどと思っていた。

そんな風に過去の名作などと思っていた。途中までは。

 

通用しておりました。自らの不明を恥じる。

しかし大人たちが喋る時が来る。今まで視聴者にはあえて聞かせなかったその声は、彼らがETのために頑張るときに初めてこちらに届けられる。彼らはただETに害をなす存在とみなしていたので、驚いてしまった。認識が一気に転換する。ここで、ようやくETが傑作と呼ばれる理由が分かった。大人たちが喋ってからが本番だった。

正直、色々よく分からない部分はあった。「ETとエリオットの体調が、リンクしているのはなんなの?」「なんでET、○○○ったの?」「人差し指同士をくっつけるシーンないじゃん」など。

でもそれらはささいなこととして放っておいていいか、と素直に思える。2017年に観ても十分に面白い映画だった。むしろ「昔の映画だからストーリーにひねりもないんだろう」などと舐めていたから、その面白さを不意打ちで食らった。

 

【ベイブ】有用性を示せ。さもなければ、死あるのみ。

sapic.hatenablog.com

こちらの記事を読んで、ベイブのamazonプライムでの配信が3/31で終了と知った。

そういえば、ウォッチリストに放り込んだままだった。良い機会なので、鑑賞した。

 

自分の役割を果たせ 

お話としては、割とよくある「主人公が、徐々に周りに認められて、最後に成功する」+ 「動物ムービー」というものだった。

だが、ほのぼのしているだけではない、ベイブは現実世界を反映したシビアな物語だった。

作中では、何度も「誰しも役割を持っている。役割を忠実に果たせ。そして、役割以外のことをしようとするな」というメッセージが明示的に述べられる。

 

豚の役割

主人公ベイブは子豚。豚は愚かで人間に対して何も奉公できないので、人間に食われることで役に立つしかない。

周囲は、豚の役割をそう規定している。

ベイブが予め決められた自分の役割に従うなら、ベイブはその身を差し出して食べられなければならなかった。

 

華麗なるジョブチェンジ

主人のおじいさんに牧羊犬ならぬ牧羊豚として高い能力を見せつけたことで、図らずもベイブは食用以外の別の役割を持つことができた。

親兄弟はみんな食べられてしまったが、ベイブだけはステップアップして、生き延びることができた。

まるで都会の難関大学に進学した後に大企業に就職し、下層階級からの脱出を果たした秀才サラリーマンのようだ。

 

有用性を示せ。さもなければ、死あるのみ。 

自分が人間の役に立つところを見せないと死ぬ運命だったベイブは、「マルドゥック・スクランブル」におけるウフコックだなあ、と思いながら観ていた。武器として生まれたウフコックも、有用性を示さないと廃棄されてしまう存在だった。

ひるがえって、僕自身はどうだろうか。何もしてない。誰の役にも立っていない。現状、社会性が皆無である。

こんなことを考えて悶々としながら、筆を擱く。

【日本 対 タイ】ビルドアップはできなくて、決定力のある日本(2017/3/28)

日本 4 - 0 タイ

 

日本は中盤抜きで4点を取った。

この試合には大きな特徴があった。まず得点の形を書く。

 

【1点目】
森重のロングフィードを久保が受ける。
久保から低いクロスがペナルティエリアに入れられ、岡崎に当たり香川が拾う。

フェイントして、タイDFを二人かわし身体をひねってニアにシュート!

 

【2点目】

長友からのロングフィードをセットプレイでゴール前に上がっていた森重がフリック、
久保が拾って、クロス。
岡崎がヘディングシュート!

 

【3点目】

酒井宏からの長いスローインを受けて、久保がバイタルに進入してミドルシュート

 

【4点目】

清武のCKを吉田がヘディングシュート!

 

 

4点も取ったのに、「パスで崩してゴール」という形は一つもない。

中盤をすっ飛ばしてのシュートか、セットプレーによるものである。

 

タイのディフェンスの前に、ビルドアップは乱れた。

主にボランチの酒井高がディフェンダーからボールを受けて、前線に届けようとしていたが、大体失敗した。

酒井高だけではない。もう一人のボランチの山口や右SB酒井宏も、ビルドアップで苦戦した。

岡崎、久保、原口、香川は、攻撃が始まるとかなり高めに位置していた。だが、彼ら前線の選手と酒井高・山口の間には、常にタイの二列目が陣取っていた。

また、タイのFWがしつこく酒井高や山口にプレスをかけていた。

つまり、日本の4-2-3-1の、4-2と3-1が、分断されているような状況だった。

これでは酒井高たちはチャンスを作れない。

無理な形の攻撃を仕掛けざるをえず、ボールロストを繰り返した。

 

日本代表の新しい形

しかし、時折日本にチャンスが訪れる。

日本はショートパスをつなげないので、チャンスを作るには中盤をすっ飛ばして、前線の選手にボールを放り込むしかなかった。それが成功するときは、シュートまで持って行けた。すると、高確率で決めてしまうのである。なんという決定力。

ビルドアップができないなら、ロングフィードがあるじゃない。決定力もあるでよ。

これが日本代表の新しい形か。ハリルホジッチ監督の目指す縦に速いサッカーが、今日の試合なのだろうか。

 

(余談1)疑問点

日本の攻撃は縦に間延びしすぎていたような気がする。

岡崎、久保、原口は頻繁にディフェンスの裏を狙っていたので、そのせいだから仕方ないものとして割り切って良いのかもしれない。

だが、それにしてはロングフィードの試行回数が少なかった。そこらへんにちぐはぐしたものを感じる。

前線への配球を森重、吉田にもっと任せてもよかったのではないか。成功率も良かったし。

 

(余談2)タイのディフェンスの仕方は良かった。攻撃はひどかった。

ずーっと、タイの二列目は嫌なところに位置し続けていた。4点取られたとはいえ、日本の中盤封じに特化した、ある種の美しさを感じた。一方、攻撃がよろしくないので、あっという間にボールを奪い返せてしまい、その結果日本は延々とビルドアップを失敗し続けることができた。

 

(余談3)川島ああああ!すごい・・・

今日も前半終了直前のCKからのシュートを防ぎ、後半6分のシュートも横っ飛びではじき、PKも止めて、確変川口みたいな大活躍。Jに戻って、試合に出てほしい。